『多様性の科学』を技術者として読んで考えたこと

専門性を深める「縦」と、異なる知につながる「横」

マシュー・サイド著『多様性の科学』を読みました。

タイトルだけを見ると、組織におけるダイバーシティを扱った本を想像するかもしれません。私自身も読み始める前は、そのような内容を漠然と思い浮かべていました。

しかし、実際に読み進めながら強く印象に残ったのは、もう少し広い意味での「異なるものの見方を、どのように取り込むか」という問いでした。

複雑な問題に向き合うとき、一人ひとりの能力を高めることだけでなく、異なる知識や経験、視点を持つ人たちが互いを補完することに価値がある。本書では、さまざまな事例を通じて、その重要性が論じられています。

この話を読みながら、私は何度も技術者の仕事を思い浮かべました。

技術者は、それぞれの専門性を深めながら仕事をしています。材料、機械、電気、情報、化学など専門分野はさまざまですし、同じ技術分野でも、研究、設計、製造、品質、保全など、立場によって見えているものは違います。一方で、現実の技術課題は、一つの専門分野だけできれいに完結するとは限りません。

では、専門性を深めることと、自分とは異なる知を取り込むことを、私たちはどう両立すればよいのでしょうか。

本稿では、『多様性の科学』の中でも特に印象に残った内容を手がかりに、技術者の立場から考えたことを整理してみたいと思います。

優秀な専門家を集めれば、優れたチームになるのか

第2章「クローン対反逆者」で特に印象に残ったのは、必ずしも一人ひとりがすべてを知る「賢人」である必要はなく、異なる知識や視点を持つ人が互いを補完することで、集団として高い問題解決力を持ち得るという考え方です。

技術の世界でも、複雑な研究開発や大規模なプロジェクトになれば、複数の専門家が集められます。一つの製品を例にとっても、材料、設計、製造、品質、保全など、それぞれ異なる専門性が必要です。その意味では、「異なる専門家を集める」という考え方そのものは、技術者の世界では特別なものではありません。

ただ、本書を読んでいると、「必要な専門分野がそろっていること」と「異なる見方がそろっていること」は、必ずしも同じではないのではないか、と考えるようになりました。

専門分野が異なっていても、同じ組織で長く働き、同じ成功体験や評価軸を共有していれば、問題を見るときの前提は少しずつ似てくるかもしれません。逆に、同じ専門分野であっても、研究者、設計者、製造現場、ユーザーなど、置かれている立場が違えば、同じ現象をまったく違う角度から見ることがあります。

私自身、このことを実感する場面があります。

青年技術士支援委員会のCPD行事では、異なる技術部門の技術士で少人数のグループをつくり、限られた時間の中で問題解決案や提案をまとめてもらうグループワークを行うことがあります。

こうしたワークを見ていて興味深いのは、一人ひとりが最初から完成した答えを持っているわけではないにもかかわらず、議論を重ねるうちに、自分一人では思いつかなかった観点が次々と加わっていくことです。最終的な成果物を見ると、当初こちらが想定していた以上に、多様な視点を含んだものになっていることも少なくありません。

もちろん、この経験だけで本書の議論を実証できるわけではありません。それでも、「異なる知識を持つ人が互いを補完する」という記述を読みながら、これまで経験してきたこうした場面が思い出されました。

もう一つ印象に残ったのは、当初は異なる視点を持っていた集団であっても、時間の経過とともに考え方が似通っていく可能性があるという点です。

材料を扱ってきた私には、この話が少し材料の経年変化に似ているようにも感じられました。材料の状態が使用環境や時間によって変化するように、組織の認知的な多様性も、一度つくればそのまま維持されるものではないのかもしれません。

プロジェクトを立ち上げる際には、まず「必要な専門家がそろっているか」を考えることが多いと思います。それに加えて、ときには「異なる見方がそろっているだろうか」と問いかけてみることにも、意味があるように思います。

標準を守ることと、標準を問い直すこと

第6章「平均値の落とし穴」も、技術者として考えさせられる章でした。

技術の世界では、標準化は非常に重要です。規格、設計基準、施工要領、作業標準、検査基準など、多くの技術活動は標準の上に成り立っています。標準があるからこそ、品質や安全性を一定水準に保ち、担当者が変わっても再現性を確保できます。

その意味で、本書の「平均」や「標準」に関する議論を、「標準化は良くない」という話として受け取るのは適切ではないでしょう。むしろ私が考えさせられたのは、標準をつくることではなく、標準がいつの間にか「疑う必要のないもの」に変わってしまうことについてでした。

ある時点で合理的だった方法が改善され、標準として定着したとします。それは、組織にとって一つの成果です。しかし時間が経つにつれて、「なぜこの方法なのか」という問いが薄れ、「決まっているから、この方法を使う」こと自体が目的になってしまう可能性もあります。

興味深いことに、技術規格そのものには、一度制定したものを固定的に使い続けないための仕組みがあります。

例えばJIS(日本産業規格)は、制定・改正後も定期的な見直しの対象となり、その結果として、内容をそのまま存続させる「確認」、内容を変更する「改正」、あるいは「廃止」が判断されます。JIS原案の作成や見直しにも所定のプロセスが設けられており、標準は制定して終わりではなく、その後の維持管理まで含めて運用されるものだと分かります。[1][2]

こうした仕組みは、「一度決めた標準を永久に固定しない」という意味で、とても合理的だと思います。

一方で、ここから先は私自身の問題意識ですが、既存の標準を定期的に点検して部分的に修正することと、仕事の進め方そのものを一度組み直すことは、少し性質が異なります。

例えばDXによって、従来とは違う情報の取得方法や分析方法、意思決定プロセスが利用できるようになったとします。そのとき、紙や人手による処理を前提としてつくられた標準の一部を書き換えるだけで十分なのでしょうか。場合によっては、業務フローや判断基準そのものを再設計し、その新しい方法を改めて標準化する必要があるかもしれません。

そう考えると、「改善」と「標準化」は対立するものではなく、改善した方法を標準化して運用し、技術や環境の変化に応じて再び問い直す、という循環で捉える方が自然です。

つまり、「標準を守ること」と「標準を問い直すこと」は両立します。

むしろ技術者にとっては、「なぜこの標準なのか」「この標準がつくられたときの前提は、今も成立しているのか」と、ときどき立ち止まって考えられることが重要なのではないでしょうか。

もっとも、それを個々の技術者の心構えだけに求めるのは難しいとも思います。既存の仕事を見直すには時間が必要ですし、新しい方法を試すには一定の裁量も必要です。試したものが一度でうまくいくとも限りません。

改善を求めながら、そのための時間や資源をほとんど与えなければ、現行の標準をそのまま使い続ける方が、現場にとって合理的な選択になりやすいでしょう。標準を問い直せるかどうかは、個人の姿勢だけではなく、それを許容する組織の仕組みとも関係しているように思います。

知識を受け取る側から、与える側へ

第7章「大局を見る」では、多様性を日常の中へ取り込むための考え方が紹介されています。その中で、私が特に印象に残ったものの一つが、「与える」という姿勢でした。

この部分を読んでいて、自分が青年技術士支援委員会でCPD行事を企画してきた経験を思い出しました。

行事を企画する側になると、まずテーマについて自分自身が勉強する必要があります。書籍や資料を調べながら、「なぜこのテーマを扱うのか」「参加者に何を持ち帰ってもらいたいのか」を考えます。

さらに、委員自身が内部講師として講義を担当する場合には、理解したつもりになっていた内容を、他の人に説明できるところまで整理しなければなりません。スライドをつくっている途中で、「自分は本当にここを理解しているのだろうか」と立ち止まることもありますし、当日の質疑では、自分では考えたことのなかった角度から質問を受けることもあります。

振り返ってみると、参加者として講義を聞いているときよりも、企画したり説明したりする側に回ったときの方が、自分自身の学習量は大きかったように感じます。

もちろん、そこには相応のコストもあります。テーマを考え、調べ、資料をつくり、当日の運営まで担えば、かなりの時間を使います。したがって、常に「与える側に回った方がよい」という単純な話ではありません。

それでも、知識を受け取るだけでなく、一度自分なりに咀嚼し、他者に伝えられる形へ変換してみる。その過程で初めて得られる学びがあることは、自分自身の経験からも感じています。

学ぶ人と教える人を固定せず、ときには役割を入れ替えながら知識が行き来することも、多様な知を活かすための一つの条件なのかもしれません。

企業技術者には、「知をつなぐ」難しさがある

ここまで考えると、「それなら専門の異なる技術者同士が、もっと積極的に知識を共有すればよい」という結論になりそうです。

しかし、企業に所属する技術者の立場から考えると、私はここで少し立ち止まりました。現実には、それほど単純ではないからです。

企業技術者には守秘義務があり、技術情報の中には営業秘密やノウハウとして管理すべきものもあれば、知的財産として保護すべきものもあります。社外との交流では、相手との関係や扱う情報の性質によって、共有できる範囲を慎重に判断する必要があります。

異なる専門家が知識を持ち寄り、それらが融合することで新しいアイデアが生まれる。本書の議論には納得できるところがありますが、営利企業に所属する技術者がそれをそのまま実践しようとすると、「どこまで共有できるのか」という境界から逃れることはできません。

では、企業技術者にとって、異なる知の融合は難しいのでしょうか。

そこで少し視点を変えてみると、別の可能性が見えてきます。

総合重工業や総合電機、自動車など、幅広い事業や技術分野を抱える企業では、一つの企業の中にすでに多様な専門知が存在しています。材料、機械、電気、制御、情報、化学、生産技術、品質、知的財産。さらに、研究開発、設計、製造、事業企画、本社部門など、同じ技術を見る立場も一様ではありません。

だとすれば、すべての多様性を社外に求めなくても、「社内にすでに存在している異なる知を、どうつなぐか」という方向にも、まだ大きな余地があるのではないでしょうか。

ここで、私自身が一つ区別しておきたいと思ったことがあります。

多様な知が存在することと、多様な知がつながっていることは違う。

企業の中には、すでにさまざまな技術情報を共有する仕組みがあります。研究所の技術発表会、新技術を紹介する社内勉強会、専門分野ごとの研究会などです。社外に目を向ければ、学協会の大会や講演会も、新しい知識に触れる重要な機会になっています。

こうした場は、知らなかった技術の存在を知るうえで有用です。しかし、「情報を受け取ること」と、「受け取った情報を自分や他者の知識と結びつけること」との間には、意外に距離があるようにも感じます。

ある技術者の発表を聞いて、「面白い研究だった」「参考になった」と思って帰る。それだけでも十分な学びはあります。しかし、その技術が「自分たちの事業の課題にも使えないか」「別の技術と組み合わせると何が起きるか」「この前提を、まったく違う分野の技術者はどう見るのか」といったところまで発展するとは限りません。

講演会であれば、発表を聞き、数件の質疑応答を行えば、それだけで予定時間を使い切ってしまいます。また、大人数の会場で突然「質問はありませんか」と求められれば、専門外の参加者ほど、「こんな初歩的なことを聞いてよいのだろうか」と発言をためらうこともあるでしょう。

つまり、多様な専門家を同じ場所に集めることと、異なる知識同士を実際に接触させることの間には、もう一つ仕掛けが必要なのかもしれません。

図1 情報共有を中心とした講演会と、知識融合を促す対話型の場の比較(筆者作成)

図1は、そんな問題意識から考えた一つの「型」です。

講演や技術紹介そのものは、従来どおり行います。そのうえで、講演後に、専門分野や事業領域、立場の異なる4人程度で小さなグループをつくり、短時間でも対話する時間を設けます。

そこで話す内容は、難しいものでなくてもよいと思います。

「どこが気になったか」
「自分の仕事との接点はありそうか」
「別の事業ならどう使えそうか」
「分からなかったことは何か」
「他分野の人には、どう見えているのか」

こうした問いをきっかけに、それぞれが持っている専門知や経験と、講演で得た情報を一度接触させてみます。その後、各グループで生まれた気づきや疑問を代表者が全体へ短く共有し、必要に応じて記録を残します。

狙っているのは、講演会そのものを否定したり、大きく作り変えたりすることではありません。講演は、専門知を効率よく多くの人へ伝える仕組みとして優れています。その長所を残したまま、その後に少しだけ「考えて話す時間」を加えることで、情報の流れを一方向から多方向へ広げられないか、という発想です。

もちろん、このような場を設けたからといって、すぐに新しい技術や事業が生まれるわけではありません。グループの組み合わせ、扱うテーマ、対話の進め方、その後のフォローなど、成果を左右する要素はいくつもあるでしょう。

そもそも、私自身もこの型を十分に実践し、その有効性を確かめられているわけではありません。

それでも、異なる専門家を集めるだけでなく、異なる知識同士が接触する機会まで意識的につくるという考え方には、試行して検証してみる価値はあるように思います。

「情報共有の場」を「知識融合が起こり得る場」へ少しだけ近づける。

そのためには、参加者の顔ぶれだけでなく、情報がどう流れるかまで考えて場を設計する必要があるのかもしれません。

専門性を深める「縦」と、異なる知につながる「横」

技術者にとって、自分の専門性を深めることは欠かせません。専門的な知識や経験がなければ、他者に提供できるものも少なくなってしまいますし、異分野の知識に触れたときにも、その価値を判断するための足場が必要です。

その意味で、専門性を高め続けることの重要性は、本書を読んだからといって変わるものではありません。

ただ、『多様性の科学』を読み終えて、専門性を深めることとは別の方向にも目を向けるようになりました。

自分の専門を深く掘っていく「縦方向」の成長があるとすれば、もう一つ、自分とは異なる専門、事業、世代、経験、組織へつながっていく「横方向」の経路もあります。

複雑な問題に向き合う技術者にとっては、この二つを対立させるのではなく、両方を持つことが大切なのかもしれません。

そして、「横につながる」というのは、多様な人と知り合えば終わり、ということでもなさそうです。

異なる人と出会い、問いを交わし、自分の知識を差し出し、相手の知識を受け取る。その過程で、それまで別々に存在していた知識の間に新しい接点が生まれる。そこまで進んで初めて、「多様な知が存在する」という状態から、その知を集合的に活かす状態へ少しずつ近づいていくのではないでしょうか。

今回、本書を読み終えて私の中に残ったのは、「多様性は大切だ」という単純な結論ではありませんでした。

むしろ、

自分とは異なる知が入り込む経路を持っているだろうか。

そして、

その知と自分の知識が接触する場を、私たちはつくれているだろうか。

という二つの問いでした。

技術者として専門性を深めながら、ときどき自分の専門の外側へ目を向けてみる。その先には、自分一人では気づかなかった問いや選択肢があるかもしれません。

参考文献

[1] 日本産業標準調査会(JISC)「産業標準化とJIS」(アクセス:2026年10月1日)
[2] 日本産業標準調査会(JISC)「JIS等原案作成マニュアル」(アクセス:2026年10月1日)

− 執筆者 −
鳥形 啓輔
 技術士(金属部門)・国際溶接技術者(IWE)・知的財産アナリスト(特許)
 金属材料・溶接接合を軸に、製造技術、保全、知財・技術動向などを対象に、技術者の視点から情報発信を行っています。また、技術士会でのCPD行事の企画・運営などを通じて、専門分野を越えた技術者同士の交流や、技術者の学び・成長につながる場づくりにも取り組んでいます。
 本ブログでは、個別の技術解説に加え、技術と社会・事業との接点や、技術者として考えたことを、自身の経験も踏まえながら整理・発信しています。
 → [技術士事務所トリテクノサービスについて]

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